沖縄の海で感じたこと|青すぎる水と、時間の流れ方が変わった3日間

先週、ひさしぶりに沖縄へ行ってきた。最後に行ったのが確か4年前だったから、本当にひさしぶりだ。正直なところ、出発前は「まあ、リゾートだしゆっくりできるだろう」くらいの軽い気持ちだったんだけど、いざ現地に着いてみると、思ってたより全然違う体験になった。あの海を前にすると、なんか言葉が出なくなるんだよね。うまく説明できないけど、確かに何かが変わった気がした3日間だった。そのあたりを今日は書いてみようと思う。

那覇に着いた瞬間から空気が違う

羽田を出発して約2時間半、那覇空港に降り立った瞬間に「あ、来たな」って感じる独特の空気がある。蒸し暑いんだけど、東京の蒸し暑さとはなんか違うんだよね。潮の匂いが混じってるからかな。空港を出た瞬間に太陽の強さがもう全然違って、肌にじりじりくる感じがした。

レンタカーを借りて、まず最初に向かったのは古宇利島。那覇から車で1時間半くらいかかるんだけど、古宇利大橋を渡る手前の景色がもうやばかった。橋に近づくにつれて、窓の外がどんどんエメラルドグリーンに変わっていくんだよ。「この色、本当に本物か?」って思わず声に出してしまった。同行した友人も無言になってたから、あの瞬間はみんな同じ気持ちだったと思う。旅の「掴み」としては完璧すぎる幕開けだった。

水の透明度が、想像のはるか上だった

翌日は恩納村のビーチでシュノーケリングをした。ここが今回の旅でいちばん印象に残ったかもしれない。ライフジャケットをつけて海に入った瞬間、水面から下を覗いて思わず「えっ」って声が出た。水深5メートルくらいのところまで、普通に見えるんだよ。サンゴ礁がきれいに広がってて、カラフルな魚たちが普通に泳いでる。

シュノーケリング自体はそんなに得意じゃなかったんだけど、あの透明度を見たら怖さより好奇心が勝った。しばらくぷかぷか浮きながら眺めてたら、なんか余計なこと全部忘れてた。仕事のこと、SNSのこと、なんかそういうもろもろ。水中って音もほとんど聞こえないじゃないか。あの静けさの中で、自分がいかに普段ざわざわした環境に慣れきってるかを思い知らされた感じがした。

「何もしない」をちゃんとできた、たぶん初めて

3日間のうち、半日だけ完全にフリーな時間を作った。観光スポットに行くわけでも、アクティビティをするわけでもなく、ただビーチの近くのカフェで座ってるだけの時間。普段の自分だったら「もったいない」って思っていたと思う。旅行に来てるのに何もしないのかって。

でも今回は不思議とそれが全然もったいなくなかった。むしろ必要な時間だったとすら思う。波の音を聞きながら、アイスコーヒーを飲んで、特に何を考えるでもなくぼーっとしてた。「旅行=詰め込む」じゃなくていいんだって、なんか腑に落ちた瞬間だった。日常でこれをやろうとするとすごく難しいのに、沖縄だと自然とできてしまうのが面白い。場所の力ってあるんだなと思った。

地元の人の「ゆっくりさ」に学んだこと

今回、観光地ではなくて地元の人が行くような食堂にも何度か入ってみた。注文してから料理が出てくるまでが東京よりも明らかにゆっくりなんだけど、不思議とイライラしなかった。店員さんがのんびりしてるのに感じが悪くないというか、あのペースがその場所の「普通」なんだって自然に受け入れられた。

沖縄には「なんくるないさ」という言葉があるけど、あれって単に「なんとかなるさ」って楽観的なことを言ってるんじゃなくて、自分が誠実に生きてれば物事はちゃんとなるよ、みたいなニュアンスがあるらしい。現地の人に教えてもらってから、街全体の空気がそういう哲学を体現してるんだなと思って見えてきた。東京で生きてると、焦ることを美徳みたいに思ってしまうことがある。そのあたりを静かに問い直された気がした。

帰り際に気づいた、旅の本当の目的

最終日、空港に向かうレンタカーの中で「また来たい」とすでに思ってた。それ自体はよくあることなんだけど、今回はその気持ちの中身が少し違った。観光スポットをもっと回りたいとか、食べてないものを食べたいとかじゃなくて、「あの時間の感覚をまた体験したい」って感じだった。

沖縄の海は確かにきれいだ。でもたぶん自分が求めてたのは、きれいな景色じゃなくて時間の流れ方そのものだったんだと思う。日常のスピードから切り離されて、ただそこに在るだけでいい感覚。それを取り戻すために、人は旅に行くのかもしれない。

次に沖縄に来るときは、もう少し離島にも足を延ばしてみたいと思ってる。石垣とか、宮古島とか。でも今回みたいに「何もしない時間」を必ず半日は作ることは、次回も絶対にやろうと決めてる。沖縄が教えてくれた「ゆっくりする技術」を、日常にも少しずつ持ち帰れたらいいな、と思いながら羽田に降り立った。

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