何周も見てしまうドラマがある——沼にはまった作品とその理由を語る
「このドラマ、また見てる…」ってなること、ない?新しいドラマがどんどん配信される時代なのに、なぜか同じ作品を何度も引っ張り出してしまう。しかも一周目と同じくらい、いや下手したらそれ以上に楽しんでいる自分がいる。今日はそういう「何周も見てしまうドラマ」の話をしたいと思う。理由を言語化してみたら、なんとなく自分の好みの輪郭も見えてきた気がして、なかなか面白かった。
一周目には気づかなかった伏線に気づく快感
何度も見てしまうドラマの一番の理由って、たぶんこれだと思う。一周目は純粋にストーリーを追うのに必死で、細かいセリフや小道具、登場人物の表情とかに全然気づけていない。でも二周目になると、「あ、この時点でもうフラグ立ってたじゃん」とか「このシーン、こういう意味だったのか」ってなる瞬間があって、それが本当に気持ちいい。
伏線回収の快感って一周目だけのものじゃなくて、むしろ二周目以降のほうが深く味わえるんだよね。脚本家がどれだけ細かく作り込んでいたかっていうのが、見れば見るほど見えてくる。「この脚本家、天才か」って思いながらリモコン握ってる。そういう緻密さのある作品は、何周しても飽きない。見るたびに新しい発見があるから、もはや「再視聴」というより「別の楽しみ方」に近い感覚だ。
好きなシーンだけ切り取って見る「つまみ食い鑑賞」
何周もしているうちに、だんだんと「全話通しで見る」スタイルから「あのシーンだけ見たい」スタイルに変わってくることがある。これはこれで立派な楽しみ方だと思っていて、自分の中では「つまみ食い鑑賞」と呼んでいる。
好きなシーンって、見るたびに染みる度合いが違う。気分や自分の状況によって受け取り方が変わるから、同じセリフでも「今日は特にこのセリフが刺さった」みたいなことが起きる。特に感情が揺さぶられるシーンって、何度見ても泣けたりするんだよね。涙腺の耐性が上がるかと思いきや、むしろ「このシーンは絶対泣く」ってわかった上で見るから、余計に泣ける。もう条件反射みたいになってる。
キャラクターへの愛着が深まっていく感じ
一周目って、どうしてもメインキャラクターに目がいく。でも何周かしているうちに、脇役のキャラクターのことが気になってきたりする。「この人、こういうバックグラウンドがあったからこの行動をしてたんだ」って、後から気づいて一人で「そうだったのか…」ってなる。
あと、好きなキャラクターへの愛着がどんどん深まっていくのも、何周もする理由のひとつだと思う。一周目では「好きかも」くらいだったのが、二周目で「やっぱり好き」、三周目で「もうこの人のこと全部わかる気がする」くらいまで育っていく。現実には存在しないキャラクターなのに、なんか友達みたいな感覚になってくる。それが少し寂しくもあり、でもすごく心地よかったりする。
「あの頃」を思い出すためのタイムカプセル的な鑑賞
何周も見ているドラマって、もはや「ドラマを見る」という感覚じゃなくて、「あの時の自分に戻る」感覚に近くなってくることがある。初めて見た時期の記憶と、そのドラマがひもついているんだよね。
「このドラマ、あの仕事がきつかった時期に毎週見てたな」とか「このシーズン、ちょうど引っ越した頃に見たな」みたいに、人生のある時期と結びついていることが多い。だから見直すと、過去の自分の気持ちや状況まで一緒によみがえってくる。それがたまらなく懐かしくて、また引っ張り出してしまう。ドラマがタイムカプセルみたいな役割を果たしている感じ、なんか不思議だけどすごくわかる体験だと思う。
「完成された世界」にいる安心感がたまらない
新しいドラマを見始める時って、多少エネルギーがいる。どんな世界観か、誰が誰なのか、どんな展開になるのかを全部一から把握しないといけないから。でも何度も見ているドラマって、もうその世界のことをぜんぶ知っている。だから安心して飛び込める。
疲れている時や、なんとなく気持ちが落ち着かない時に「また見ようかな」ってなるのは、慣れ親しんだ世界に帰る感覚があるからだと思う。結末を知っているのに、でもその過程を一緒に歩きたくなる。完成された物語の中に身を置く安心感って、新しいドラマでは味わえない独特のものがある。これが一番、何周もしてしまう本質的な理由かもしれない。
「同じドラマをまた見てる、時間の無駄かな」って思うこともあったけど、全然そんなことない気がしてきた。見るたびに新しい発見があって、気持ちが癒されて、好きなキャラクターにまた会える。それって十分すぎる理由だと思う。これからも「また見たいな」と思ったタイミングで迷わず再生したいし、そういう作品をこれからも大切にしていきたいと思っている。次に何周目かを迎えるのは、どのドラマになるかな。
中学生からテニスを始め、現在テニスコーチもしています。