沖縄の海で感じたこと——初めて本物の透明度を目の前にした日

先月、初めて沖縄に行った。正直に言うと、それまで「沖縄の海ってどうせ写真映えするだけでしょ」くらいに思っていた。テレビや雑誌で見すぎて、なんとなく「知った気」になっていたんだと思う。でも実際に那覇空港を出て、レンタカーで北上して、砂浜に足を踏み入れた瞬間——そんな斜に構えた気持ちは一瞬で吹っ飛んだ。あの透明度は、画面越しでは絶対に伝わらない。今日はそのときのことを、できるだけそのまま書き残しておきたいと思う。

海に入る前から、もう違った

最初に向かったのは恩納村にあるビーチだった。駐車場に車を停めて、木々の間を抜けると急に視界が開けて、海が「ドン」と現れる。その瞬間の感覚、なんて表現すればいいんだろう。東京湾や湘南の海しか知らなかった自分には、水の色が根本的に違うという事実がまず信じられなかった。エメラルドグリーンとか、コバルトブルーとか、そういう言葉は知ってたけど、実際に見るとそんな言葉が追いつかない感じがした。砂浜に立っただけで、すでに「来てよかった」と思っていた。荷物を置いて、日焼け止めを塗りながら、ただぼーっと海を眺めてしまった。一緒に来た友人に「早く行こうよ」と急かされるまで、気づいたら5分くらいそこに立ち尽くしていたと思う。

水中で見た世界が、価値観を変えた

シュノーケリングは過去に一度やったことがあったけど、そのときはあまりピンとこなかった。濁った水の中に魚が少し見えた、くらいの記憶しかない。だから今回も「まあやってみるか」程度の気持ちだった。でもマスクをつけて顔を水面に突っ込んだ瞬間、思わず顔を上げてしまった。信じられなくて。もう一度潜って、また上がって、「うわ、本物だ」と思った。珊瑚礁の上を泳ぐ魚の群れ、鮮やかな色のサンゴ、陽の光が水中でゆらゆらと揺れる様子——全部が「本物」だった。水族館で見るのとは全然違う。あちらは「見せてもらってる」感があるけど、こっちは自分がその世界に混じり込んでいる感覚がある。気づいたら1時間以上水の中にいた。

何もしない時間の贅沢さに気づいた

午後、シュノーケリングを終えて砂浜に大の字に寝転んだ。特に何をするわけでもなく、ただ空を見ていた。沖縄の空は青が濃い。雲の白がやたらとはっきりしていて、どこかCGみたいにきれいだった。その時間、スマホを取り出す気にもなれなかった。ふだんの自分なら「せっかくだから写真撮らないと」とか「インスタにあげよう」とか考えるんだけど、あの瞬間はそういう気持ちが一切湧いてこなかった。ただそこにいるだけで満たされるという感覚を、たぶん久しぶりに味わった。もしかしたら、大人になってからは初めてかもしれない。旅行の目的って写真を撮ることじゃないんだよな、と当たり前のことを改めて実感した瞬間だった。

夕暮れの海が一番ずるかった

夕方、チェックインを済ませてもう一度海の近くを散歩した。日が傾き始めると、昼間とはまったく別の顔を見せてくれた。海の色がオレンジとピンクと紫が混ざったような色に変わっていって、水平線の向こうに太陽が沈んでいく。「サンセットが綺麗」というのは聞いていたけど、実際に見ると言葉が出なかった。一緒にいた友人も黙って見ていた。ふたりでしばらく何も言わなかった。沖縄の夕日は、人を黙らせる力があると思う。その静けさは不思議と居心地がよくて、ずっとそこにいたかった。旅行中に「ここにいたい」と思える瞬間って、そんなに多くないから、あの時間はすごく大切なものとして記憶に残っている。

沖縄の海が教えてくれたこと

帰ってきてから一週間以上経つけど、まだあの感覚を引きずっている。透明な水の色、魚の群れ、何もしない砂浜の午後、夕暮れの静けさ。どれも「すごいものを見た」という興奮とは少し違って、なんというか、自分がちっぽけだと気づかせてくれる感覚に近い。日常の忙しさとか、SNSの反応とか、仕事のストレスとか、そういうものが一時的にどうでもよくなった。海ってそういう力を持っているんだなと思う。特に沖縄の海は、その力がずば抜けて強い気がした。「海が好き」という人の気持ちが、今回の旅でやっと本当の意味でわかった気がする。

次は離島にも行ってみたいと思っている。石垣島や宮古島は、今回行った本島よりもさらに海が綺麗だと聞いた。「そんな海がまだ上にあるの?」と半信半疑でいるけど、たぶん行ったらまた同じように言葉を失うんだと思う。沖縄の海は一度ハマると抜け出せないと友人に言われたけど、その意味が今ならよくわかる。来年の夏、また絶対に行く。それだけは決めた。

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